非歯科医師対策に追われる、昭和初期の福岡市歯科医師会(傍線筆者)。

非医者の歯科医業に対しては、かねて警察当局、本会で摘発に当っていたが一向に後を絶たず、福岡県警察部では実態調査を進めていたが、開業歯科医が出張所などを設置し、代診名義で雇われているものが、ひそかに不正医療行為をやっているという見解のもとに、これは非医者幇助となって罰せられることになる、と昭和七年九月九日付で警告を発した。
これら非医者は歯科医不足の中で、無資格のまま“街の歯科医”として治療をつづけてきた。昭和の初年、市内の非医者某は技工士十数名を雇い、自分は営業を担当し、患者の中に県議会議員、商店主など財力のあるものをかかえ、高額の治療費をとり、入歯に百円を要求するという事例もあった。
昭和十年に警察当局と本会が提携してかなり大がかりな非医者取り締まりを行い、市内馬出、真砂町、奥小路、上金屋町、下浜口町、大野村、大橋、荒戸町でそれぞれ一名、計八名を検挙した。この時、西新町に住んでいた一名は情報を事前にキャッチしたものか、数日前に逃走していた。悪質なものは日ごろから車引きを雇い、いざという時、治療具一式を積み込んで逃走を図ったという。
なお、この年の取り締まりで臨検を受けた歯科医院は三、注意を受けた歯科医が四、閉鎖を命ぜられた歯科医院が一となっている。
(福岡市歯科医師会六十年史、1990年)


横浜の川本大洲一家のようなケースは、全国にあったようだ。