ココで紹介した大日本新歯会の中央委員・鹿田定は昭和14年、九州歯科学会雑誌に興味深い論文を発表している。タイトルは「低落社会歯科医療の打開に対する私見」。
「歯牙の真価の低落」の原因として「歯科医の歯牙に対する物質価格評価」の低さを挙げているところが、興味深い。当時の歯科医師はホンモノの歯の治療費よりも、ニセモノの歯(義歯)の価格を高く設定していたのである。
そんな鹿田の「低落歯科医療の打開の方策」は「歯科医療の国家経営」、もしくは「歯牙真価の物質価格的高価評定であり歯牙および人命尊重」である。
今日でも、歯科診療報酬点数の低さが、患者の歯科医療に対するモチベーションを下げているという意見はある。つまり、アメリカ並みに日本の歯科治療費が高くなれば、日本人もアメリカ人並みに予防に注力するだろうという意見である。
一理あると思うが、痛みが出るまで放っておく患者は、歯科治療費が安い=いつでも治療できる、という理由で痛みを放置しているのではないだろう。そういう患者はそもそも歯や口腔の健康を甘くみているのであって、むしろ現状の歯科治療費ですら高すぎると思っているのである。また、アメリカが皆保険制度になって保険で安価に歯科治療が受けられるようになったとしても、アメリカ人は予防や早期治療を軽視すまい。口腔内を清潔にして歯をキレイさを保つことは、もはや文化だからである。
なお、鹿田定の執筆当時の肩書は「山口県仙崎町齋木病院歯科」。齋木病院は今も健在だが、歯科はなくなったようだ。鹿田の問題提起から80年近く経過したが、歯科の価値が高まったとはとてもいえない現状である。
空気は無尽蔵なる天恵物質であるが故にその人類生存に絶対不可欠要素であるに拘らず吾人はその真価について認識を敢えてせない。同様に歯牙もまた人類健康保持に絶対不可欠の重要機官であり生命と一連の連りを有する身体組織であるに拘らず、その異常の強固さ数量的多数存在および、これに加え吾人歯科医の歯牙に対する物質価格評価のあまりに低率であるが故に、現在に於て歯牙の真価は吾人の評価せる価値以上に何等の真価を認識されていないのである。しかも尚年々加算しつつある歯科医過剰現象、自由独善競争および国家経済の動向は混然合流して一層歯牙の真価の低落を来し終ったのである。(鹿田定「低落社會齒科醫療の打開に對する私見」九州歯会誌、1939、87-92)
「歯牙の真価の低落」の原因として「歯科医の歯牙に対する物質価格評価」の低さを挙げているところが、興味深い。当時の歯科医師はホンモノの歯の治療費よりも、ニセモノの歯(義歯)の価格を高く設定していたのである。
現今一般的歯科医療を目して「疾病起源の製作者」であるかの如き非難の声を聞くも、これに向って断じてしからずと反駁断言し得る者いくばくありや、考うる時まったく心細い限りであり、神聖なるべき歯科医学を極端に侮辱するかかる非難にすらも屈服しなければならないのが現状の歯科医療であると言って最も当らずと言い得ないのである。
そんな鹿田の「低落歯科医療の打開の方策」は「歯科医療の国家経営」、もしくは「歯牙真価の物質価格的高価評定であり歯牙および人命尊重」である。
抜歯術および現在治療の名目下にある抜髄処置を抜髄手術としてこの両者の医療報酬額を歯牙の真価の割合に応じて高価に評定する事である。あるいは極端との非難を受くる恐れあるも、吾人の主張せんとする所は保存歯科および歯科外科に歯科医療の重点を置く事である。(略)かくする事により一時的には国民大衆の経済的皮層の感念より負担過重の悪印象を免れ得ずとするも、反面国民歯牙愛護思想の偉大なる啓発原動力となり齲歯予防実行の強制力となり、その結果必然起るべき生活改善となりここに於て家庭経済に充分の余力を生じ得ると信ずるものである。なおかくする事によって歯科医も現在のごとくその収益の充填を技工にのみ偏在せしむるを要せず、結局は現在高率歯科技工料金の材料および技術に応じたる減額を見るを得べく、さらにまた重要なるはかくて始めて歯科医療の分業的独立すなわち専門科独立の可能条件となり、数年を出ずして歯科外科、保存歯科、補綴歯科の専門的独立分業を来し、各専門医院に対して一定の患者の集中となり、ことに補綴科のごときは極低価格をもって何等の不安なく最も進歩せる技術および生理衛生的加工が自然可能となり、まったく国民医療費負担の軽減となり国家の低物価政策の真意に合流し、人的資源確保の大理想におのずから合致し得て君国に対し吾人歯科医も表面的ならざる充分のご奉公を果し得る事になるのである。
今日でも、歯科診療報酬点数の低さが、患者の歯科医療に対するモチベーションを下げているという意見はある。つまり、アメリカ並みに日本の歯科治療費が高くなれば、日本人もアメリカ人並みに予防に注力するだろうという意見である。
一理あると思うが、痛みが出るまで放っておく患者は、歯科治療費が安い=いつでも治療できる、という理由で痛みを放置しているのではないだろう。そういう患者はそもそも歯や口腔の健康を甘くみているのであって、むしろ現状の歯科治療費ですら高すぎると思っているのである。また、アメリカが皆保険制度になって保険で安価に歯科治療が受けられるようになったとしても、アメリカ人は予防や早期治療を軽視すまい。口腔内を清潔にして歯をキレイさを保つことは、もはや文化だからである。
なお、鹿田定の執筆当時の肩書は「山口県仙崎町齋木病院歯科」。齋木病院は今も健在だが、歯科はなくなったようだ。鹿田の問題提起から80年近く経過したが、歯科の価値が高まったとはとてもいえない現状である。