63歳、晩年の矢部貞治は、
歯の治療に注力していた。
この頭痛はカゼではなく歯由来ではないかと思われるが、
本人もそれと自覚しだす。
「今までの」旧義歯は重要だ。場合によっては再製より修理のほうがうまくいくこともある。壊れてもすぐ棄てず、歯科診療所に持ち込んでアレコレ相談する、歯科医師側も手がかりをつかみやすくなる。
それにしても「1ヶ月くらい」は長いかも。まだ歯科技工士が希少だからか。
仮義歯は、
3日でできている。
13日には早稲田大学に初出勤している。客員教授で月給は税込11万円、手取りで9万9000円。国際情勢研究会の月給は10万円弱だった。このほか公安審査委員会と選挙制度審議会の謝礼(っていうのか)、原稿料や講演料などの不定期収入がある。
矢部貞治は「内閣から明治百年の記念事業の委員になってくれというので」(昭和41年4月13日)、明治百年記念準備会議委員になっていた。
矢部貞治は明治百年事業のテーマとして――
「第二の開国と第二の廃藩置県」を内閣官房に提出している。いいテーマである――矢部は同事業の結果を見ることなく世を去ってしまうが。なお、同事業で実際行われたのは二宮尊徳像の復活など、回顧調イベントが多かったようである。当時はまだ戦災を免れた明治から続く町並みが各地に残っていたと思われるが(東海道新幹線開通から4年目だけど)、結局はガンガン開発されて今に至る。
なお、来る平成30年は明治150周年で、現在「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議なるものができているが、
まあ、「広く会議を興し万機公論に決すべし」とか「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」とかいう方向にはいきそうにない。福澤諭吉や森有礼が今の森友学園・加計学園疑惑を聞いたら、大いに悲憤慷慨すること間違いなしである。
パロチンは唾液腺ホルモンだが、
▲帝国臓器製薬パロチン錠の広告、昭和41年10月25日付朝日新聞。
当時の錠剤の適応症に白内障とある。臨床試験やったのかコレ。
10時ごろ歯医者。混んでいたが僕の歯は順調なので診る必要がないので、この次のことを打合わせて直ぐ帰る。9日ごろ来てくれというが、9日は終日忙しいので、7日に行くことにする。
(昭和41年4月30日)
歯の治療に注力していた。
僕は少しカゼを引いたらしく頭が痛い。それに歯を抜いてものを噛む負担が全部右側の歯にかかるので、右側は上下ともに痛む。下の歯ぐきははれている。
(昭和41年5月1日)
この頭痛はカゼではなく歯由来ではないかと思われるが、
どうも少し熱気があるようだし、頭痛もする。歯痛と関係があるのだろう。
(昭和41年5月4日)
本人もそれと自覚しだす。
10時過ぎ歯医者に行く。1時間以上待たされた。本格的な義歯をつくるのは、まだ1ヶ月くらいかかるので、その間臨時の義歯を、今までのを土台にして作るという。とにかく型をとった。長期持久戦の覚悟だからかまわぬ。
(昭和41年5月7日)
「今までの」旧義歯は重要だ。場合によっては再製より修理のほうがうまくいくこともある。壊れてもすぐ棄てず、歯科診療所に持ち込んでアレコレ相談する、歯科医師側も手がかりをつかみやすくなる。
それにしても「1ヶ月くらい」は長いかも。まだ歯科技工士が希少だからか。
仮義歯は、
4時半ごろ歯医者に行く。思ったより空いていた。今日で一応下歯の義歯を入れてくれた。多少違和感はあるが、仕方がない。あまり堅いものは噛めないが、ものを言うのには差支えなくなった。次は上歯の治療だ。この際肝を据えて徹底的にやるつもりだ。
(昭和41年5月10日)
3日でできている。
13日には早稲田大学に初出勤している。客員教授で月給は税込11万円、手取りで9万9000円。国際情勢研究会の月給は10万円弱だった。このほか公安審査委員会と選挙制度審議会の謝礼(っていうのか)、原稿料や講演料などの不定期収入がある。
12時半から総理官邸で明治百年記念準備会議というものがあるので、地下鉄で行く。
(略)
佐藤首相以下全閣僚が出て、団体代表だの学識経験者だの80数名という会議だから、むろん突っこんだ話しなどできない。
1時半過ぎに終ったので、赤坂プリンスまで歩き、昨日義歯が入ったので久しぶりに食事した。
(昭和41年5月11日)
矢部貞治は「内閣から明治百年の記念事業の委員になってくれというので」(昭和41年4月13日)、明治百年記念準備会議委員になっていた。
10時半ごろ歯医者に行く。割にすいていた。今日は先日の義歯を調節するにとどめた。上歯を抜くのは来週にする。
(昭和41年5月14日)
矢部貞治は明治百年事業のテーマとして――
朝、明治百年記念事業のことを書いて内閣官房に送る。「第二の開国と第二の廃藩置県」をやれという趣旨。
このあと歯医者に行ったが、今日は上の歯を抜かなかった。
(昭和41年5月18日)
「第二の開国と第二の廃藩置県」を内閣官房に提出している。いいテーマである――矢部は同事業の結果を見ることなく世を去ってしまうが。なお、同事業で実際行われたのは二宮尊徳像の復活など、回顧調イベントが多かったようである。当時はまだ戦災を免れた明治から続く町並みが各地に残っていたと思われるが(東海道新幹線開通から4年目だけど)、結局はガンガン開発されて今に至る。
なお、来る平成30年は明治150周年で、現在「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議なるものができているが、
政府では、内閣官房副長官を議長とする「「明治150年」関連施策各府省連絡会議」を設け、
1「明治以降の歩みを次世代に遺す施策」、
2「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ向けた施策」、
3「明治150年に向けた機運を高めていく施策」の3つを柱として、政府一体となって「明治150年」関連施策を推進しているところです。国だけでなく、地方公共団体や民間も含めて、日本各地で、「明治150年」に関連する多様な取組が推進されるよう、ロゴマークの使用促進や広報などを通じて、「明治150年」に向けた機運の醸成を図っています。
(政府広報)
まあ、「広く会議を興し万機公論に決すべし」とか「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」とかいう方向にはいきそうにない。福澤諭吉や森有礼が今の森友学園・加計学園疑惑を聞いたら、大いに悲憤慷慨すること間違いなしである。
朝、歯医者に行くつもりだったが、やめた。パロチンという薬を飲んでみると、浮いていた歯がしまって、抜く必要もないらしい。
(昭和41年5月24日)
パロチンは唾液腺ホルモンだが、
▲帝国臓器製薬パロチン錠の広告、昭和41年10月25日付朝日新聞。
当時の錠剤の適応症に白内障とある。臨床試験やったのかコレ。