ロマンチストのお話

Posted By on 2015年6月16日

大学受験に失敗し、家を飛び出した私は

しばらく池袋の友人の家に居候していた

高校を卒業した1982年の春休みの事だ

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                      (高校卒業当時)

受験のプレッシャーから開放され

働く気もなく予備校の手続きさえする気もない

親からガミガミ言われることもなくなったので

毎日、昼過ぎまでダラダラ寝て

夕方から夜のストリートへとフラフラ流れ出た

実際、金もなかった

怖い目にもあったが、ヤバイこともけっこうやった(笑)

そんなボウフラみたいな生活をおくっていた時に

THE STALIN」のステージを始めて経験したのである

確か場所は池袋西武の中の「スタジオ2000」だったか?

当時の「THE STALIN」は

映画『爆裂都市 BURST CITY』には出演していたが

まだメジャーデビュー前

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会場の関係上、初期の頃の豚の頭や臓物を撒き散らしたり

フルチンでステージを転げまわるパフォーマンスはもうできなかったものの

開演前から客の投げ込んだ爆竹が鳴り響き

それを必死に踏み消そうとするスタッフがもみ合い

一触即発!会場の異様な雰囲気で客の罵倒が飛び交った

初めて目の前で観た「THE STALIN」は凄まじかった

その悍ましさと超過激さは今まで経験したことのないライブだった

遠藤ミチロウの挑発は全部の客を敵に回していた

彼がフロント前面にくればみんなが殴りかかり

彼が客に唾を吐けば、彼をめがけて何十もの唾が吐き飛び返された

興奮の坩堝の中で

何の刺激も面白さも感じる事がなく

ただ、ストリートを徘徊するしかなかった自分に

衝撃が走った瞬間であった

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                                                                                                (19の頃 新宿ガード下にて)

春休みが終わると友人は大学へ通い始めた

居場所がなくなり宿無しの私は、遂に一文無し

仕方なくこっそりと実家に戻ると、待ち構えていた一族に拉致され

そのまま墨田区の予備校へと強制送還された

そして、ほどなくして江東区にあった予備校の寮に1年間も監禁されたのである

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それは、まるで映画『時計じかけのオレンジ』で主人公アレックスが受けた

ルドヴィコ療法そのものであった

すべての娯楽から隔離され

すっかりパンクスピリットを奪われた私は

牙を抜かれた野獣

怯えた子猫のようになってしまったのだ

檻の中での退屈な毎日はフラストレーションが溜まるだけだった

毎週、日曜日に2時間だけ開放される寮の屋上が

唯一の未来!未来があるから “NO FUTURE”  な場所だった

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時は流れ・・・

1年後 釈放された私は

都会でまた不純な快楽に溺れないようにと

信州へと島流しになった

“塩尻シティは虫だらけ”

“そして僕は途方に暮れ”

髪は黒髪に戻り ファッションもダサダサ

 以前の私を知る友人は

“今のお前はロボトミーのようだ”とつぶやいたほど

月夜の蟹、表六玉のようであったらしい

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                    (大学入試願書写真w)

 

田舎町での絶望的な生活を送っていたある日

何かを予感させるBIGなNEWSが飛び込んできた

THE STALIN」が松本小池楽器ホールにやってきたのだ!

このステージはサードアルバム「虫」の発売直後で

待ちに待ったファンの期待は凄まじいものであった

近隣の村からも精一杯に武装したPUNKSどもが集結した

しかもこの時の「THE STALIN」のメンバーは強烈だった

ミチロウと晋太郎に加え

ギターに原爆オナニーズを脱退した 良次雄

ドラムスは同じく原爆から引っ張られた

高校を卒業したばかりのTATSUYA(中村達也)だった

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実際、GIGの始まる前に近くの公園をひとりでプラプラしていると

バタフライメイクの TATSUYAが公衆電話で電話をしているのを目撃したのだが

孔雀のようなモヒカン頭が電話ボックスから

折れ曲がるようにはみ出していて

受話器を持つその筋肉質の二の腕は

おそろしかーっ! こりゃハンパじゃねぇ!

とテンションがMAXに達したのを覚えている

この瞬間、予備校でのルドヴィコ療法でヘロヘロにされた私の体は

完全に元のパンクスピリットを取り戻し、新たに覚醒されたのである

この目の前で観た2度目の「THE STALIN」のGIGをきっかけに

私もこの街でBANDを結成しようと心に誓った

メンバーを集うまでにそう時間はかからなかった

 

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 以後、国家試験直前までバンド活動を続けた

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あれから30年あまり

先日、鴨宮の「ジーズキャフェ」に

遠藤ミチロウさんがやって来た

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ギター1本ではあるが

鬼気迫る演奏と咆哮し歌う彼の姿は

あの私の心が荒んでいた遠い春休みに観た

あの遠藤ミチロウだった

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ライブ直後で疲れているであろう手でCDにサインをしてくれた

「また来て下さい」とお願いして握手をしてもらった

吐き気がするほどロマンチック だった

私はまだまだ遠藤ミチロウを

   嫌ダッと言っても愛してやるさ !  

https://youtu.be/gPerIDHPnmE

About The Author

The Damnedやツネマツマサトシ、The Stoogesなどのカヴァー曲をリハーサルした後、初めてのライブをコイケミュージックホールで行なう。あまりにもメチャクチャで荒々しい演奏のせいで、わずか15分ほどで電源を切られTHE HOODLUMのデビューライブは終わった。そんな原点が今の活力!歯科医師としての情熱に繋がっている。

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